商店街への移転そして開業

第二の営業スタート!!

結婚と同時に当時中心商店街に位置した場所の
賃貸店舗での営業の再開となりました。

商品の時計関係は取引先のメーカー代理店が委託で貸してくれ
宝石は知人が委託で貸してくれ、私たちの個人的な商品は
アクセサリーが殆どでした。
宝石を仕入しようにも充分な資金的余裕がなかったのです。

それでも当時としては、商店街の一角にあか抜けた?
ジュエリーショップが出来たことで
商店街の賑わいの手助けにはなったと思います。
それと若い夫婦は恐れ知らずのやる気満々でした。

翌年10月に待望の長女が誕生しました。
1800グラムの未熟児でした。

市内の産婦人科での出産でしたが、保育器で育て
商売の方も忙しくて、産婦人科医院にお願いしまして
12月31日、大みそかに長女を引き取りました。
心配しました障害も無く、すくすくと育ちました。

商店街の全盛期

私の店舗は通りの奥に神社の駐車場、その向こうには7階建ての
市営駐車場が完備され、お客様はそこに車を止めて、
私の営業しています店舗の前を通り、市内唯一のデパートに
買い物に行きます。

デパートがセールをしますと私の店も本当に活気がありました。
勿論バブル時期も経験いたしました。

自店セールをしますと、朝から夕方までひっきりなしに
来客が有り、レジの中は見る見るうちに万札で一杯になるんです。

そんな私を支援してくれていたのが遠縁筋の建設業の社長でした。

業績の拡大と共に運転資金が必要な時の銀行の借り入れの
いつも連帯保証人になってくれました。

その人の業績から考えれば、当店の借入金額は微々たるものなんです。
いつも、その人のおかげで一発審査で、融資可能となりました。

この時はまだ将来とんでもない事が起きるとは予測は出来ないですが・・

商店街の衰退

当時、私の位置しています商店街の近郊には
デパート、駅のステーションデパート、横に丸大百貨店
ユニー、長崎屋とお客様の回遊性が期待できました。

そういう活気のある商店街の繁栄もある日を境に
衰退していくのです。
JR駅の裏側にダイエーが進出したんです。

大型店同士の戦争が始まったんです!!

お客さんの流れが変わってきました。
日曜、祭日の店舗前の通行量が激減です。

長崎屋撤退、丸大百貨店閉店、駅前ユニー撤退と
商店街を取り巻く環境が変わり始めたんです。

それから暫くしますと、
郊外型大型ショッピンモール・イオンの出店。

暫くすると、ダイエーの撤退。

最後に商店街に残ったのは一件の既存デパートだけです。

商店街からの移転

客数減退は目に見えて解るようになりました。
まず、ブライダル数の激減。
円弧知人の来客も半減してきました。
お客様はイオンモールへと流れるようになって行きました。

完全に車社会の影響力に商店街が喰われたのです。
流れるニュースは空き店舗の目立つ商店街の画像です。

私も一大発起して、商店街を旅立つ覚悟を決めました。

コンサルタント、商工会議所、取引先、銀行と
協力してくれました。

して、


平成17年(2005年)11月。

郊外に120坪の土地と、35坪(115.5㎡)の店舗を新築
そして移転しました。
フランス・パリをイメージした店舗造りで資金投資しました。
商品在庫は売価で3億5000万円まで増加しました。
私の人生の絶頂期です。

スタッフも新しく3人募集いたし、
私たち夫婦との新店舗スタートです。

決して順風満帆ではなかったのですが、
商店街で29年間お世話になり新しい門出です。

次回は新店舗と「まさかの坂」をお話し致します。
ありがとうございました。

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